理事長のつぶやき

ボランティアの居場所でもあること

理事長のゆっきーこと幸重です。よく見るとブログのカテゴリーの「理事長のつぶやき」が唯一ゼロであることに今、気づいてあわてて投稿しています(SNSではコラム書いたり、メッセージや思いをつぶやいてたまに炎上させております)。

今日は8月8日のびわ湖大花火大会でのボランティア交流会のことをネタに新ブログ最初の理事長のつぶやきを投稿しようと思います。

こどもソーシャルワークセンターの二階から見えるびわ湖大花火大会

さて、コロナ禍で花火大会中止の年が続きましたが、復活してからびわ湖大花火大会の日は、ボランティア交流会と懐かしい若者たちの再会の日にしています。こどもソーシャルワークセンター二階は、びわ湖大花火大会の最高の観覧席になっているので、コロナ禍前はセンターを利用している親子でセンターを開放して交流会をしていましたが、現在では30名近くのこども若者が利用しているため、さすがに全員の親子に集まってもらうことは出来ないということで、その日は居場所活動をお休みしてボランティアのみなさんの交流の日にしています。それとこども時代にトワイライトなどを使っていた若者(居場所に顔を出す機会が少なくなったメンバー)に、花火大会の有料席チケットを渡すついでに立ち寄ってもらうスタイルとなっています。

今回も高校生世代の2名の若者と大学生世代の2名の若者が顔を出してくれました。懐かしい思い出話をしたり、今の生活について聞かせてもらったりしました。4名のうち3名には帰るうちがないので、これからもセンターを実家のように使ってくれるといいのになぁと思っています。

さて、本題のボランティアの話になります。今年も10名近いボランティアが集まって週末に予定されている募金活動の準備を手伝ってくれた後に、タコパを楽しみました。まあタコがどこにいっても売り切れで三件目でやっとゲットしたそうです。またタコパのお約束のロシアンルーレットたこ焼き(今回はタバスコ入り)で、辛いのが苦手なのに理事長の口に直撃という大惨事も発生。びわ湖大花火大会鑑賞を楽しんだあとは、一部のメンバーはセンターに泊まってなんとオールナイトで過ごしたそうです(ボクはさすがに深夜の1時ごろに帰りましたが)。

花火がはじまっても一心不乱にタコ焼きをつくり続けるボランティアたち

こどもソーシャルワークセンターは「家や学校にしんどさを抱えるこども若者」たちが利用の主体でありますが、そのこども若者に日々接しているのは、職員だけでなく毎年やってくる100名を超える多くのボランティアたちです。こどもたちはこどもソーシャルワークセンター内では「自分たちのしんどさという課題」を見て欲しいのではなく、「自分」に関心をもって欲しいと願っています。だからこそ専門家ではないボランティアが関わることで、「課題」ではなく「自分」を見てくれることになります(専門家はどうしても課題に目がいく)、このことでこどもとボランティアの距離や関係はぐっと近づきます。そしてここからがおもしろいのですが、こどもたちと距離や関係が近づくことで、関わっているボランティアは「自分が必要とされている」と強く感じるようになっていきます。そうして「こどもの居場所をつくる」はずのボランティアは、いつのまにか「自分たちボランティアの居場所」も同時に作っていることになります。

自分自身が、学生の時から30代までボランティアとして参加していた「こども劇場おやこ劇場」という市民活動が、自分のボランティア活動の原点になっています。30年前、自分が学生だった時のあの雰囲気を今でもつくりたいとずっと願っており、ボランティアの居場所になるようなこどもソーシャルワークセンターづくりを行ってきました。さすがにあの頃の自分のように、毎日ボランティアが入り浸るほどの場にはなっていませんが、8月8日のボランティア交流会を見守りながら、少しずつあの雰囲気が出来てきているのかなと思ってうれしく、同時に頼もしい気持ちになりました。

いつものことですが、その日の思いつきで職員に指示して、ボランティア交流会に参加したみんなに「ボランティアである自分にとってのこどもソーシャルワークセンターは」というテーマで、ボードにメッセージを書いて写真を撮りました。近いうちにSNSやこのブログで紹介していきたいと思います。お楽しみに!

約三十年前の写真。自分が学生時代に参加していたボランティアの若者たちの交流会からのワンショット。三十年前の写真なので顔にスタンプつけておりませんが、時効でいいですよね。