ネットワーク事業

10代ヤングケアラー合宿キャンプ二日目

アクトパル宇治での二日目は、このキャンプのメインプログラムとなる「アートワークショップ」。10代ヤングケアラー合宿キャンプの目的は「ケアを離れたレスパイトケア(休息)」と、もう一つの目的が「ヤングケアラーの声を社会に届けるための新たな可能性の模索」になります。それがアート(芸術)を活用したヤングケアラーの声集め。今まで、ヤングケアラーの声は量的な調査となるアンケートによる文章や数値での表現か、質的な調査となる個人のケア体験談を中心としたインタビューがメインでした。こどもソーシャルワークセンターを利用するヤングケアラーの中には、家族のケアのため小中学校を満足に通えていなかった若者や軽度な知的障がいや発達課題を抱え「言語コミュニケーション」が苦手なメンバーも決して少なくなかったという経験から、このキャンプでのヤングケアラーの声集めとして、アートワークショップを行うことになりました。以下の四つのプログラムから参加者は希望するアートワークショップに参加してもらいました。

■ショート動画で物語づくり

若者たちにとってSNSアプリですっかりおなじみのショート動画づくり。今回はヤングケアラーの高校生が主人公の映画「猫と私と もう1人のネコ」の祝監督をワークショップの講師に招きました。参加者はそれぞれのケア体験のエピソードを無理のない範囲で語りあい、物語づくりを行います。そしてショート動画撮影の中で、ヤングケアラーである自分の身近にいるケアの対象の家族や支援者たちを演じる体験を行いました。ワークショップで作られたショート動画は、プライバシーの観点から報告イベントなどクローズな場でのみ公開を予定しています。

■音楽で曲づくりに挑戦

ショート動画が自分たちのケア体験のエピソードを語り合うのに対して、こちらは参加者であるヤングケアラーの声や気持ちを言葉で集めて作詞して曲をつくっていきました。講師は大阪でヤングケアラー支援やこどもたちと音楽祭を行っている一般社団法人こもれびのソーシャルワーカーさんが担当。このワークショップが一番高校生世代の参加が多かったのも特徴でした。完成した曲は「あのね。」と題名が決まり、夜の報告会に向けて練習がスタート、バンド名は「メモリーズ」、報告会ではキャンプの楽しさが伝わってくる素敵なな演奏を披露。音源は聴けるようにしています。演奏の動画はプライバシーの観点から報告イベントなどクローズな場でのみ公開を予定しています。

■ものづくり(アクセサリー・コラージュ作品)を楽しむ

ヤングケアラーの参加者に一番人気のプログラムは、それぞれのペースでものづくりを楽しむこのワークショップでした。レジンを使ったアクセサリーづくりの講師は、大阪のヤングケアラー支援団体ふうせんの会ピアスタッフしゅんさんが担当。おしゃべりも楽しみながら、素敵なアクセサリーが作られていました。そして滋賀県で活躍するコラージュアーティストのとのいけこーたさんが講師のコラージュ作品づくりは、午前中は個人作品。午後は最終日の集合写真用の横断幕づくりをしてくれました。作品をつくりながら、おしゃべりも弾んでいるヤングケアラー姿も。

■ゲームづくりを楽しもう

芸術系のプログラムがなじまない参加者向けに「遊び」であるカードゲームを使ったワークショップも用意しました。「はぁって言うゲーム」という居場所で若者たちに人気のカードゲームをアレンジして、ヤングケアラーの日常で出てくる「はぁ」を考えてもらい、ヤングケアラー版「はぁって言うゲーム」づくりをしました。講師はこどもソーシャルワークセンターのスタッフが担当。参加者が少ないプログラムとなったので、午前中でこの活動を終えて、午後はこの後に紹介するキャンプアクティビティに参加することになりました。

■キャンプアクティビティ

この日のお昼ご飯は、いわゆるキャンプ飯。元こどもソーシャルワークセンタースタッフに講師となってもらい野外炊事で作られた「あったか豚汁」や焚き火を囲んでパン作りなどキャンプクッキングを楽しみました。豚汁はキャンプ直前に障がい施設の方が育てた滋賀県の新鮮な野菜を大量に寄贈されたものを使い、赤こんにゃくなど滋賀県の名物も入ったもので、雪が時折ちらつく寒さの中でヤングケアラーたちの身体のみならず心もあたためてくれました。またオートキャンプ場には暖房器具が備えられたあったかテントも準備され、午後からのアートワークショップは自由参加だったこともありそこで夕方まで過ごす参加者もいました。

夜の報告会は、暖房にない寒い体育館が会場でしたが、二日目を通して行った四つのアートワークショップの発表(ゲーム、展覧会、演奏、動画視聴)を通して、ほんわかした素敵な気持ちのまま最後の夜は更けていきました。

参加者の一人がキャンプ後に送ってくれた体験記より

★この体験記は本人の許可を得て掲載しています。またプライバシーに関わる箇所は一部修正させてもらっています。

合宿キャンプ二日目は、映画制作のアートワークショップに参加した。名前を覚えるゲームやエアーのキャッチボール、二人組での「列車」のワークなど、身体を使った表現を重ねる。特に「相手に身を委ねる」という体験は、常に周囲の顔色を伺い、「支える側」として神経を尖らせて生きてきたヤングケアラーの私たちにとって、震えるほど大きな意味を持つものだった。 その後、円になって「好きなこと」について話し、noteや言語化の話、ミュージカルの話など、みんなに伝播して打ち解けてきた。

ワークショップの中盤、私たちは自分のケア経験を語り合った。講師の提案で一度感情を整理する時間が設けられ、私はいつの間にかファシリテーターとしてホワイトボードの前に立っていた。いよいよ実践。私が選んだのは、「金銭管理ができない母親と、月末に困り果てて話し合う場面」だった。「母親役」「自分役」を自分以外の参加者にお願いし、客観的にその光景を見つめた。演じられる自分を見て初めて、「私は外からこう見えていたのか」「周りにはこんな空気感が漂っていたのか」と気づかされる。また別の参加者の場面で父親役を演じた際は、言葉に詰まる彼女を見て、当時の自分もそこから逃げ出したかったのかもしれないと、封印していた感情が呼び起こされた。 自分の過去を“演じる”という行為は、思っていた以上に残酷だった。それは、忘れたふりをしていた感情に、もう一度身体ごと向き合うことだったからだ。けれど同時に、誰かがそれを受け止め、演じ、形にしてくれることで、私は初めて「これは私だけの痛みじゃない」と思えた。 誰かが私の痛みを「役」として背負ってくれた時、孤独だった痛みは、分かち合える「物語」へと変わった気がした。

※このワークショップ中は専門家である支援スタッフを入れて、参加者の心理的負担がないようにした環境下(場合によってはプログラムのストップも含め)で行っています。

普通は台本があって、それに向けて役作りをする。 しかし、今回の映画は自分たちの人生の物語だから、台本がなくとも演じることができた。「本物」で「本当の声」だからこそ、素晴らしい映画になったんだと強く感じた。私たちが作った映画には、きょうだい児、親の世話、精神疾患、学校との関係といった、メンバーそれぞれの「ケアのエッセンス」を詰め込んだ。学校の場面を入れることになり、先生役は私が引き受けることになった。 そこでは三者面談の場面を入れ、「大丈夫」 の二面性を扱うことにした。 実際に車椅子も借りて、 自分たちでカメラを回した。 演出のアシスタント講師から教わった「悪役には、その人なりの人生の文脈がある」という言葉を胸に、台本なしの即興で撮影を進めた。私は上映前、編集を急ピッチで担当した。

上映会では、泣いている声も聞こえた。 エンドロールが流れて拍手があって、この五人だから最良のものができたと思った。参加者の一人が言った「演技だけど嘘じゃない」という言葉が、すべてを物語っていた。 達成感の中、講師から映画のファイルへサインをもらった。エンドロールに入れた音楽の発表では、音楽グループにいた○○くんが堂々と場を盛り上げている姿を見て、彼の新しい人生もここから始まるのだと確信した。一日目と比べて二倍くらい話すようになった彼に、 ユースワークについて尋ねたり、 語らったりする機会を得ることができたのは、 それだけで価値があった。 また福井で再会しようと約束した。