10代ヤングケアラー合宿キャンプ最終日
楽しかった合宿キャンプも最終日。朝食後に部屋と荷物の片づけを終えて、二泊したアクトパル宇治からバスに乗り、二日前にみんなの集まったびわ湖へ。なぎさのテラスと呼ばれるびわ湖を一望できるスポットのお店を貸し切って最後のランチパーティーに。初日の曇り空と全く違う青空の見えるびわ湖を、全国のヤングケアラーたちに最後みてもらうことが出来たことは本当に良かったと思います。
※なお集合写真は最後に撮ったものなので、二日目の夜で帰った支援スタッフや写真が苦手な参加者は入っていないので、実際のキャンプよりも規模が少なく見えるかもしれません。

ランチパーティーでは三日間のスライドショー上映、年明けのアフターイベント予告プレゼン、昨日のアートワーク報告会で上映した動画などを視聴する予定でしたが、パーティー会場のプロジェクターが無線タイプでPCとうまく接続出来ずに一時間ほど悪戦苦闘し、何とか終了間際にスライドショーの上映だけ行うことが出来ました。三日間をスライドショーの写真や動画で振り返りながら、素敵なびわ湖のロケーションでランチを食べつつ最後の時間を楽しむヤングケアラーの参加者たち。
スライドショーだけでなく、料理の待ち時間もあったので、その時間を使って来年度の10代ヤングケアラー合宿キャンプについての思いや希望を、参加者のみんなにスケッチブックに書いてもらいました。また集合写真用の個人ボードにも三日間キャンプに参加したみんなの様々な言葉が並びました。
「ともだちがたくさん出来た」「第二のふるさとが滋賀に出来た」「みんなの心がカラフルになりました」「ひとりじゃないと思えた」「はじめて共感できたこと、気づいたことがたくさん」「クリスマスに一生ものの思い出が出来ました」「同じ立場のともだちがたくさんできて、すごくうれしかったです」「ステキな出会い」「話があう人にたくさん出会えてうれしかったです」「やさしい人がたくさんいて、とっても癒やされました」「息抜きが出来て楽しかった」「たくさんの仲間と出会えた」「寒かったけど、みんなあたたかかった」「ひとりじゃないって地元のみんなにも伝えたい」「つながるってすごい」「いろんな人とかかわれて楽しかったです」「全国とのつながりに大感動」「出会いに感謝。新たな挑戦」「つながりが増えて楽しかった」「豚汁がおいしかった」「少しの時間でしたが、最高の時間と思い出になりました」などなど。

最後のランチパーティーでの名残惜しい時間も過ぎて、いよいよおわかれの時。おみやげに誕生日祝いの焼き菓子と滋賀県グッズ(ひこにゃんやとびだしぼうやなどの文具など)を手にそれぞれ自分たちの地元に帰っていきました。
一期一会のこのキャンプの仲間が全員が会うのはこの機会で最後になりますが、今後もアフターイベントとしてオンラインサロンでの交流と、この10代ヤングケアラー合宿キャンプの成果を伝えることを目的とした、アフターイベントが東日本では長野県で、西日本では岡山県での開催が決まっています。今回のキャンプ参加者はリアルな声を各会場で届けるために、全国二カ所にわかれて集まる予定です。またヤングケアラー支援者や行政担当者向けには三月にオンラインの報告会を行います。このこどもソーシャルワークセンターのホームページで告知するのでお楽しみに。
参加者の一人がキャンプ後に送ってくれた体験記より
★この体験記は本人の許可を得て掲載しています。またプライバシーに関わる箇所は一部修正させてもらっています。
最終日。帰りのバスでは SSW(スクールソーシャルワーカー)をしている引率で参加した□□さんと隣になり、教育現場における共生のあり方について語り合った。 理想の先生像が明確に見えたわけじゃない。だけど、家庭でケアをしている子に『大丈夫?』じゃなくて、別の言葉をかけられる大人になりたいと思った。先生らしくない先生。人はそう言うかもしれないけれど、できることなら何でもやりたい。日本の未来は彼らが担っていくのだから。「ヤングケアラー」という言葉を使わずとも、当たり前に支え合える社会の実現を願わずにはいられなかった。
ランチパーティーでは、仲間たちと寄せ書きを交換した。わずか三日間でここまで仲良くなれるなんて。コロナ禍で満足にできなかった中学の卒業式を取り戻すような、あたたかな時間だった。感情を共有することの素晴らしさを知った。
別れの時。こどもソーシャルワークセンターのスタッフさんが心配してくれて、京都駅まで付き添い、伊丹空港行きのシャトルバスまで案内してくれた。京都タワーの前で最後のお別れをし、 自分が「ヤングケアラー」でも「学生」でもない、ただの「一人の旅人」に戻ったことに気づいた。一人で歩く京都の街。タワーの大きな絵馬に、「2026年もみんなが笑顔で過ごせますように!」と書き記した。笑顔になれない環境にいる人も、いつか笑えるようになる、そんな社会は来るだろうか。
観光客で賑わう街角で、幸せそうな親子連れに「シャッターを押しましょうか」と声をかけた。かつてなら、そんな光景にチクリとした痛みを感じていたかもしれない。でも今は、素直に彼らの笑顔をレンズに収めることができた。それは、私の心に「他人の幸せを喜べる余白」が生まれた証拠だった。重くて見ないふりをしていた荷物を、「ちょっとだけ向き合ってみようかな」と思えるようになった。2025年のクリスマス。人生の英気を養って、これからも頑張ろうと思えた。背負っているものは依然として重い。でも少しだけ軽くなって、足取りが軽くなった気がした。荷物はまだ消えていない。けれど、抱えたまま歩けることを、私はこの旅で知った。 それがきっと、“生きていく”ということなのだと思う。 それは、私が自分の人生を自分の足で歩き出すための、確かな「ファーストステップ」となった。行きの飛行機。機内アナウンスが言っていた『素敵なプレゼント』。それは、重い荷物を抱えたまま歩き出す勇気という、目には見えない贈り物だったのかもしれない。(完)

